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八十三才の挑戦、 槍ヶ岳登頂奮闘の記 (2010.08.23~26)

「父ちゃん今年も又、山登りするで足鍛えておきねェの・・・・・・」

夏休みに入って息子から言われた。

今回は北アルプスの岩峰、

日本のマッターホルン言われる槍ヶ岳だと言う。

我家では夏季休暇を利用しての、登山が恒例になっており、

今年は六才と十才の孫たちも一緒に登山するという。

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上高地バスターミナルからは起伏の少ない道で孫達の足取りも確りしていて
四時間後、横尾山荘に到着。

ここで息子と美江さん(息子の嫁)が高齢の私や、幼い孫達の体力に配慮して
背負うザックの荷物を配分、登山道に入る。

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梓川の左岸に沿って樹林の中、苔むしたワサビ沢を丸木橋で渡ると槍見河原だ。

ゆるやかに流れる梓川の河原から槍の穂先を望むことが出来たが、

はるか遠くであんな高いところまで行けるのだろうかと少し不安になる。

二ノ俣の吊り橋を渡り、緩やかに登ると今夜の宿、槍沢ロッジに着いた。

延べ六時間余の強行軍であった。

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翌日は四時半起床、朝食の後七時に、槍ヶ岳山荘に向けて出発。

樹林の中を進み狭くなった沢を抜けると一時間程で槍沢のテント場に着く。

色とりどりのテントをあとに暫く行くと垂直の壁がそそり立つ狭い道だ。

下山してくる人たちが我家の幼い孫達を見て、

「偉いネ、頑張って」等と声をかけてくれる。

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この辺りから道は急登りとなり、息苦しくなるがゆっくりと岩屑、浮石等に気を配りながら一歩一歩慎重に慎重に登る。

槍沢のどんづまりに来てそびえ立つ槍ヶ岳が見えたが、まだまだはるかに遠い、

このあたりで十才の孫が息苦しくなり、用意してきた携帯用酸素を吸入しながらの登りとなる。

十二時三十分ぐらい槍と槍ヶ岳山荘がよく見える水場に着き、持参した食料で炊飯して食事をとり出発。

殺生ヒュッテから槍ヶ岳山荘までは目前に見えるのだが、ジグザグ上りが続き結構時間がかかる。

あせらずに登り石垣の間を抜けて暫く、山荘前に十七時到着。

十時間あまりの心臓破りの山登りであった。

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山荘前では孫達を見て、先着の人達からよくぞここまできたと感嘆の声しきりであった。

山荘は水が乏しく汗も十分拭えなかったが、
疲れていたので食事の後十九時に床につき、ぐっすり眠り、
表のざわめきで目覚めると今しも陽が昇り始めるとのこと。

御来光である。 なんとも清々しい。五時十分。何枚もカメラにおさめる。

朝食の後、美江さんは、孫達を連れて下山することに。

昨日の水飲み場で待ち合わせるとのこと。

私への気配りが感じられる。

美江さんに感謝しながら、私と息子二人だけの登頂になる。

山荘からは百メートル程で登り口へ、水だけをポケットに身軽ないでたちで息子の後に続く。

目の前にそそり立つゴツゴツした岩肌、

ゆらぐ心に鞭打って岩の突起をしっかり掴み足場を探り足を踏みしめ、
又手を伸ばして出張った岩を掴み少しづつ少しづつよじ登る。

怖いのと苦しいのが交錯しながら空気の薄い高山での苦闘である。

「 父ちゃん、下を見るなよ 」  と息子の声。

鎖を手繰って更に登るとハシゴの所へ、やっとの思いで頂上へ。

(つい)に三千百八十メートルの頂上に立つことができた。

感激である。

槍ヶ岳山頂と書かれた祠に手を合わせて記念の写真を撮る。

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感激を胸に美江さんや孫達とも合流して下山の途へ。

下山にもそれなりの苦労と楽しみがあったが、長くなるので次の機会に譲りたい。

ありがとう   息子よ    美江さん   それに孫達よ

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コメント

素敵な作文ですね。
そして、素敵なお父さんです。
とても、83歳とは思えないほど若々しいですね。
僕も、元気頂きました。

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